第1194回淡青評論

七徳堂鬼瓦

「あたまの悪さ」を恐れない

地震研究所には、创设に携わった物理学者、寺田寅彦の铭板が掲げられている。

「本所の门に出入する者」が「日夜心肝に铭じて忘るべからざる」使命として、「科学研究と地震灾害の予防?軽减方策の探究」を両轮に掲げる。こんな理念に背中をおされながら、研究をし、学生と接する私を勇気づけてきた寺田作品がある。随笔「科学者とあたま」だ。

その冒头、さっそく不意を突かれる。「科学者はあたまが悪くなくてはいけない」。一见、逆説のようだが、読み进めると次第に寺田の意図するところがわかってくる。

「いわゆる头のいい人は、言わば足の早い旅人のようなものである。(中略)途中の道ばたあるいはちょっとしたわき道にある肝心なものを见落とす恐れがある。头の悪い人足ののろい人がずっとあとからおくれて来てわけもなくそのだいじな宝物を拾って行く场合がある」

研究では「物事を素早く理解するより、分からないことと辛抱强く向き合う姿势が重要だ」。私はこう解釈した。

ただ、いくら粘り强く调べても分からないことはある。学生时代、教授とデータ解析の结果を见て、うんうんと悩んだ末、「どうにもよく分からない……」ということが、しばしばあった。

やはり头が悪いとどうしようもないのだろうか。ある时、残念そうにしている私に、教授はどこか晴れ晴れとした颜でこう言った。

「この分からないことをよく覚えておくことだなぁ」

年月を経て、昔分からなかったことが、急につながり、分かるようになるという、うれしい経験を几度もした。研究の道のりでは、ゆっくり进むだけではなく、一旦手放したかつての疑问に立ち返ることもできるのだ。その间に技术や関连研究も発展する。そしてこのような宝物を拾うためには今「分かること」以上に、分からないことを蓄えておく力が重要になる。

分からないことをそのまま〝置く?ことには、気持ちのうえでも実际のうえでも难しさがある。それでも、分からないことを抱え続ける勇気が、いつか思いがけない発见につながる。だからこそ、「あたまの悪さ」を恐れず、晴れ晴れとおおらかな気持ちで研究と教育に向き合っていけたらと思う。

内田直希
(地震研究所)

东京大学地震研究所に関する事柄が刻まれた寺田寅彦による銘板
地震研究所に掲げられている寺田寅彦の铭板
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