第1188回
研究室の「当たり前」を见直す
「何でこの人、こんなに怒っているの?」と、テレビに映る选挙候补者の街头演説を见ていた5歳の娘が闻いてきた。実际は、全く怒ってなどいなかったのだが、険しい颜をして大きな声で喋り続ける人=怒っている、と子供が推定するのも纳得である。
スムーズなコミュニケーションの里には、大抵の场合、両者の间で共有されている文脉や背景、常识などがある。言い换えれば、そうした暗黙の共通理解がない场合、コミュニケーションにすれ违いが生じることがある。特に、共通理解があると思い込んでいる时に、事态は深刻になりやすい。
学生とはこういうもの、指导教员はこうあるべき、など、自分が育ってきた环境の中で「当たり前」になっていることを考え直す机会は、日常の研究生活では灭多にない。一方で、ハラスメント扑灭の时代から多様性や个人の尊重の时代へと进んでいく中で、何をハラスメントだと感じるか、学生や教员がお互いに対して何を期待するか、についても时代と共に大きく変化し、多様化している。だからこそ、一人一人が自分の「当たり前」を见直すことは、より良い研究环境を実现する键となる。
私の研究室では卓越大学院贵辞笔惭のプログラムの一つである「研究室ローテーション」により、この数年间で数名のプログラム生を受け入れた。异分野の学生との议论は、复数の新しい研究に繋がり、学术面での成果も大きかったが、何より、他の研究室に属する大学院生との交流を通して、研究室运営や研究室内のコミュニケーションのあり方なども、実に多様であることに気付かされた。私自身にとっても、プログラム生および私の研究室の学生にとっても、それぞれの「当たり前」を见直す贵重な机会となった。
いずれ研究室の运営主体となりうる学生が、自分の育った环境しか知らないというのでは、现代の大学院教育としては心许ない。すべての大学院生に対し、1週间程度でも良いので、别の研究室の研究环境を体験?见学することを必须化してはどうだろうか?
佐々田槙子
(数理科学研究科)

