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赤门は木と森の文化を伝えている 赤门 Vol.3

掲载日:2026年3月13日

东京大学で耐震工事中の重要文化财?赤门は江戸时代后期の1827年に造られました。当时も大きな木材を揃えるのは简単ではなかったでしょう。建筑史の海野聡?准教授に闻きました。

松乃栄
锦絵「松乃栄(まつのさかえ)」蔵
徳川将军の娘?溶姫が加贺藩主?前田斉泰に舆入れした华やかな様子を、叁代歌川国贞が明治时代に想像を交えて描いたもの

赤门の木材はなんの木?

まず、赤门の柱に使われている木の种类は何でしょうか。これまで顽丈なケヤキとか、美しいヒノキだとか言われてきました。

「树种の分析は、最终的には切片をとってプレパラートにして见ないとわからない。目视レベルだと、确度が相当に落ちます。赤门の场合は、涂られてしまっているので、余计にわかりません」といいます。あの有名な门が、何の木で造られているか、断言はできないのです。

しかし、海野先生の话は続きます。「というところなのですが、基本的にはヒノキを使っているであろうと思います。通常、上等な建筑は、ヒノキを主としてきました。ケヤキを使うのは、お寺などで意図的にケヤキの部品を使う场合です」といいます。

海野先生の着书『森と木と建筑の日本史』別ウィンドウで開く(岩波新书)には、戦乱で焼けた东大寺大仏殿の鎌仓时代と江戸时代の再建で、当时の人がいかに大きな木材の入手に苦労したかが书いてあります。世界最古の木造建筑で知られる法隆寺にもヒノキが多く使われています。

寺社や城などの建筑に必要な大木は、どの时代にも入手が困难でした。赤门を建てる木材はどうやって手に入れたのでしょう。

海野先生は「通常の规模の家などで使うよりもかなり大きい材を使います。そういう材料になってくると、市场で简単に手に入るものではありません。歴史を通じて、大きい材料は特别に确保しなくてはならなかった可能性が十分考えられます」といいます。

江戸时代には、各藩が领地の山林から江戸まで木を运んだという话もあるようです。では、赤门を建てた加贺藩の场合はどうでしょうか。林业があまり盛んではなく、くわえて、领地から运ぶのは日本海から大まわりの海运になります。一方で「加贺藩はよその藩と比べて経済的に豊かだった。そうすると、市场からでも入手できる。お金で确保できた可能性もあると思われます」といいます。いずれにせよ、木材调达の记録は见あたらないので、どうやったのかはわかりません。

赤门(縦)

贵重な木材をうまく使い回している所も赤门で见ることができます。

「たとえば、表から见たときの正面の真ん中の柱がすごく幅広なのですね。でも、奥行きは浅いのです。城门などで使う手法です。正面から见たときにだけ幅広くして、すごく太い柱を使っているように见せる。お城のような构えを见せる。そういったところに、粋を凝らして溶姫を迎えようという前田家のこだわりが见えるのが、すごく面白い」そうです。

また、「里侧を见ると、牛梁(うしばり)という不整形の材料があるのです。角材ではなくて、建筑业界で野物というのですけれど、そういう荒っぽい材料があったりする」。きれいに製材していない、荒々しい材料だそうです。

「これは、お城などでよくする方法です。お寺では割と製材してしまう。そういったところに、武家屋敷だとか、あるいは大名屋敷らしい力强さが见えます。お行仪がいいだけではないところ、それも魅力です」と説明してくれました。赤门は里侧も见てみましょう。

さらに「両脇の番所も、唐破风(からはふ)という屋根の装饰を綺丽に施して、左右対象に造っています。あの门はすごく大きいわけではありませんが、番所まで含めてみると、表に対してかなりデザインを凝らしています」といいます。

赤门は、手间をかけて造られています。

豪华な门の意味について、海野先生は「歴史的には、どこの国でもどこの时代でも、ずっと造られ続けてきました。それがこの百年ぐらいで意义が急速に失われています。とくに、闭じるとか、人に见せつけるとかいった、立派に见せる门というものの机能が、现代社会では権威主义的に映り、嫌われる要素になっています」と分析しています。

现代にもし立派な门を造るとしたら「おそらく、そんなものお金をかけて造るのか、という批判にさらされる可能性は非常に高い。そういう意味でも、かつて造った大事なものを生かしていくのは重要です」という侧面もあるそうです。

东大のシンボル&谤诲辩耻辞;赤门&谤诲辩耻辞;復活のためのご支援はこちらから

 

江戸の大名屋敷が东京の大学へ

海外からの人も赤门を见に来るかもしれません。见所をあげてもらいました。

「まずは、木造でこれだけのものを造り上げているというのを见て顶きたい。他の国でも木は使っていますが、例えば、壁は基本的に土、あるいはレンガや石で造って、屋根の加工だけが木というような使い方をします。それに対して、基本的に足元から上まで木で造る木组みの文化が、この门にはよく表れている。木と木を组み合わせる加工の仕方や、装饰や组み物の精巧さ、精緻な加工をぜひ见てください」。

「もう一つは、全部を木で作ったということから、当时、日本列岛の豊かな木の文化があり、その背景に豊かな森があった、ということを知ってほしい。大きな木を使っている、あるいは正面だけ幅広いように见せるとお话ししましたが、大きな木や立派な木を使うのは、豊かな経済力の象徴なのです。细やかな使い方にも、それが现れています。そういう木と森の文化の象徴の表出として、あの门を捉えてもらうと、面白いですね」。

「叁つ目として、もとは前田家の江戸藩邸の地所だったのが今は东大の敷地になっていて、赤门は过去からの歴史の积层をよく示しています。敷地内にある叁四郎池とあわせて、江戸时代の様相を伝えています。そういう大きな屋敷が、公的な场所である大学に転换した。つまり日本の近代化、江戸から东京へという変化を大学の中で感じられるのです。时代の流れを、赤门の前で见てもらえる。あの门が伝える意义が见えてきます」。海外からの人といわず、见る人すべての参考になりそうです。

赤门の修復工事は2027年秋顷までに完成する予定です。。1回目にインタビューした松田阳先生によると、工事が终わって再び公开するに先立ち、「开门式をやりたいね」という话があるそうです。赤门の大きな扉を厳かに开けるにあたり、「かいもーん」という号令をどなたかが発することになるのでしょうか。

そして赤门は、朝に扉を开けて大学の教职员や学生を通し、夕方に闭める本来の姿に戻ります。国の重要文化财ではありますが、部外の人も见たり、通ったりすることもできるでしょう。出来た当时の江戸时代には、この门は溶姫などの特别な人が通る门で「世が世なら通れない」(海野先生)ものでした。そういうことも感慨深いですね。

海野先生

海野聡
大学院工学系研究科?工学部&苍产蝉辫;准教授

东京大学大学院工学系研究科建筑学専攻博士課程単位取得退学、博士(工学)。専門は日本建筑史?文化財保存。(独)国立文化財機構 奈良文化財研究所を経て現職。主な著書に『古建筑を受け継ぐ メンテナンスからみる日本建筑史』別ウィンドウで開く(2024年、岩波书店)、『古建筑を復元する 过去と现在の架け桥』別ウィンドウで開く(2017年、吉川弘文馆)ほか。

取材:中島 泰

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