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奇跡の门を未来につなぐ 赤门 Vol.2

掲载日:2026年3月11日

明治10(1877)年に、东京大学が现在の文京区本郷の土地にできました。江戸时代に徳川将军の娘、溶姫のために加贺前田家が建てた赤门が残っていました。门は大学に引き継がれました。

幕府の时代だと、徳川家の姫のための门は死后に壊されました。溶姫は庆応4(1868)年5月に亡くなりました。徳川幕府が政権を朝廷に返上した大政奉还の翌年、徳川家が新政府军に江戸城を明け渡した翌月のことでした。幕府はなくなり、徳川家も江戸の主でなくなったため、门を壊せと命令する人がいなくなりました。溶姫がそこまで生きてくれたから、由绪ある门が残ったのです。そのころ、赤门がある本郷でまわりの屋敷を焼き尽くす火事もありましたが、门は无事でした。大学の门になってからも、関东大震灾や戦争の空袭で东京は何度も焼けましたが、大学の人たちの努力で门は残りました。

囲われた赤门
2025年11月より耐震工事を开始した赤门の现在の様子。工期は2027年秋顷までを予定している

赤门は今、覆いや足场がまわりにあり、全体の姿を见ることができません。地震で倒れないようにする补强工事が进んでいます。构造を调べ、修理计画に携わった建筑学の藤田香织教授に话を闻きました。どこが心配なのでしょう。

藤田先生は、「建物が地震に耐えるという点では、重さが重要です。そのなかでも屋根の重さが一番です。屋根の重さに応じて、地震の力がかかってきます」といいます。

大きな地震にも倒れない赤门に

赤门は溶姫の屋敷より离れて建てられました。「离れ门」と言います。

赤门には、屋根を支える柱4本が表に一直线に并んでいます。本柱と呼びます。くわえて、后ろ侧に2本の控え柱があります。屋根は本柱より内侧にずれた位置に载っています。この形を「薬医门(やくいもん)」と呼びます。

赤门の柱の配置は横方向が幅8.06&苍产蝉辫;尘、奥行き方向が3.27&苍产蝉辫;尘で、上から见ると横に细长い四角形を形作っています。柱は础石の上に乗っています。これで屋根を支えます。细长い形のため、短辺方向への揺れに抗う力が小さくなります。しかも顶部の高さ8.8&苍产蝉辫;尘の屋根は瓦が载って重い。大きな地震が来ると倒れる恐れがあります。

赤门
昭和の大修理后の実测による赤门正面図(东京大学施设部所蔵)

修復工事では、「屋根の瓦をいったんぜんぶ降ろします。瓦の下に瓦を固める土や石膏が入っています。それらの土や石膏を、一部だけ残して取り去って屋根の重さを軽くします。木材も伤んでいるものがあるので、一部を交换します。そして瓦を戻します」と藤田先生は教えてくれました。现在、重さが约30トンと推定している屋根は、工事によって想定で5トン程度も軽くなるそうです。

あわせて、「建物の下に锤を埋め込んで、そこからボルトを出し、门の柱と柱をつなぐ横材を下からつなぎ止めて、浮き上がらないようにします」。さらに揺れにくくします。

そのほか、门の柱を上下に継いでいる部分を最新の炭素繊维で巻いて补强したり、両侧の番所を顽丈な合板で补强したりの工事をします。东京大学のホームページにそれらの図があります。

藤田先生によると、以前の调査で瓦に発见があったそうです。

「建物は屋根が一番伤むので、これまでにたびたび行われた修理が、时代の様相を映しています。葵の瓦や大学になってからの瓦とか、前田家のものとか、色々な时代の瓦が见られて面白いです」といいます。

赤门の创建当时に使われた溶姫の実家?徳川家の叁叶葵、明治时代に大学になってからの大学の「学」の字や、大正时代以降に前田家に敬意を表したとみられる前田家の梅の花をデザインした纹などが见られます。

江戸时代の建物ですから、基本的には木材を削り、互いにはめこむ日本建筑の技法で造られています。屋根の里には、屋根を支える垂木(たるき)や、それを下から持ち上げる桔木(はねぎ)という部材が组まれています。それらの木材を固定する金物も使われています。また、门の正面の扉は一枚の厚い板ではなく、なかに桟をつけて、そこに板を打ち付けて厚みを出しています。表に见える黒い金物が武家の门らしい力强さを见せていますが、これは钉隠しだそうです。伝统的なものと、时代によって使えた材料とで、色々な工夫があります。

先人の仕事が屋根里に残っていた

藤田先生は「赤门ができて二百年ぐらい経ちますが、现在との间の百年には関东地震(関东大震灾)を経ています。関东地震でキャンパス内の建物の多くが倒れるか火灾で燃えるかだったのですが、赤门はそれに耐えました。火灾は风向きなどの影响もありますが、地震でも倒れなかった。奇跡的と言ってもいいかもしれません」と话します。

 

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木造建筑には定期的に、柱の伤んだ部分の取りかえなどの修理が必要です。明治以来、东京大学は屋根の倾きを直したり、涂り直しや材木の交换をしたりなど、大小7回の修理をしてきました。今回が8度目です。

藤田先生は「赤门は、赤く涂ってあるので修理の跡は见えませんが、実は全部の柱は修理されていて、二本の控え柱も切って交换していることが今回わかりました。すごく丁寧に手を入れて使われていると思います。赤门を造ったときのことも大事ですが、残すための努力も大切です。文化财は保存するにもお金がかかり、邪魔者扱いされてしまうこともあるなかで、赤门を残す努力を続けてきた先人达は本当に伟いと思います」と夸りにしています。

建筑の専门家として、うれしかったことがあります。「柱の下の方が伤みやすいので、根継ぎと言って、明治以后の修理でそこを切って交换しています。その时に不要になった昔の部材が、屋根里から出てきました。墨书には昔の建筑学科の先生のお名前も见られました。大切に使ってきたとわかる部品が今も残っている。いいことだと思います」。先人から伝わる喜びを语ってくれました。

赤门の话3回目は、见事な木造建筑の背景にある日本の木や森について、建筑史の先生に闻きます。

藤田先生
 

藤田 香織
大学院工学系研究科?工学部&苍产蝉辫;教授

専門分野は伝統的木造建築の構造特性、耐震性。東京大学工学部建筑学科卒業、東京大学大学院工学系研究科博士課程修了、博士 (工学)。2007年より東京大学大学院工学系研究科准教授を経て、2019年より現職。共著に『図説 日本木造建築事典: 構法の歴史』(2018年、朝倉書店)ほか。原著論文にFujita, K., & Chiba, K. (2023). Long-Term Earthquake Response Monitoring of Nineteenth-Century Timber Temple Kencho-ji, Japan. International Journal of Architectural Heritage, 17(8), 1240-1255.ほか。

取材:中島 泰

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