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东京大学教员の着作を着者自らが语る広场

白い表紙に白黒の写真

书籍名

丹下健叁と隈研吾 东京大会1964/2020の建筑家

着者名

豊川 斎赫

判型など

116ページ、础4変形型、并製

言语

日本语、英語

発行年月日

2024年12月

ISBN コード

978-4-88706-412-6

出版社

罢翱罢翱出版

出版社鲍搁尝

学内図书馆贷出状况(翱笔础颁)

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パリオリンピックの直前に、パリ日本文化会馆で开かれた、同名の展覧会のカタログとして、この本ができあがった。パリオリンピックの前が东京オリンピックで、丹下と隈の二人は2つの东京オリンピックの建筑に携わったということももちろんあるが、二人の建筑家とフランスとの関係の深さが、この展覧会、この书籍を生むきっかけであったことは间违いがない。
 
丹下が日本の戦后復兴をリードした建筑家であったことは谁もが认めているし、その戦后復兴がアメリカと日本の二人叁脚であったことも、间违いがない。しかし、なぜか丹下はアメリカには无関心であったように见えるし、作品もほとんど残っていない。逆に丹下が最も力を入れて取り组んだのはパリでの建筑群であった。
 
その背景にあるのは丹下の原爆体験であったと僕は考える。広岛の旧制高校で学び、自分の青春の地の破壊、消灭を目にした経験は、丹下を反米主义者にし、彼とパリを接近させたと僕は考える。
 
僕がパリに近づいたのは、90年代初头のバブル経済の崩壊であった。80年代にニューヨークに住み、新自由主义経済が世界を涂りかえていく様子を直に目撃し、同时にまた新自由主义のもろさも実感した。僕自身、バブル崩壊ですべての东京のプロジェクトがキャンセルされ、地方をまわりながら、90年代をなんとか喰いつないだ。そのトラウマから、アメリカ発の新自由主义をどう超えるか、アメリカをどう超えるかが、僕の生涯のテーマとなったのである。日本の地方の仕事が评価され始めた僕が、2000年代になって、アメリカではなくパリ事务所を开いたのは、そのような理由による。
 
二人の建筑家はアメリカのどこに违和感を覚え、アメリカをどう超えようとしたのだろうか。それは、モダニズム建筑とアメリカとが、どのように関係性と持つのかという、歴史的な大テーマともつながるだろう。そのような长い射程で、この二人展を眺め、考えていただけたらうれしい。そのためのヒントをこの小さなカタログに埋め込んだ。
 

(紹介文執筆者: 工学系研究科 名誉教授 / 特別教授室 特別教授 隈 研吾 / 2026)

本の目次

フランスでの展覧会を迎えて(隈 研吾)
丹下の時代、隈の時代(隈 研吾)
「丹下健叁と隈研吾展」の開催趣旨と3つの課題(豊川斎赫)
 
1.代々木竞技场と国立竞技场
 1-1 ランドスケープ
 1-2 线
 1-3 轩
 1-4 アーチ
【寄稿】丹下建築の改修、実践を通じて(丹下都市建築設計 副社長?木村知弘)
 
2.石元泰博撮影『桂』から见た成城の自邸と竹屋
 2-1 石元が活写した桂と丹下自邸の几何学
 2-2 桂の素材感と竹屋
 2-3 多様な素材
【寄稿】桂离宫で结ばれる时代とひと(茶人?木村宗慎)
【寄稿】わたしの建築と、わたしたちの建築(グラフィックデザイナー?原 研哉)
 
3.パリの丹下/パリの隈
 3-1 パリの丹下
 3-2 パリの隈
【寄稿】父、丹下健叁とのパリの思い出(建筑家?丹下宪孝)
 
年表─ふたりの世界的建筑家の足跡と世相
英訳録
略歴/クレジット
 

関连情报

イベント:
展覧会「KENZÔ TANGE – KENGO KUMA Architectes des Jeux de Tokyo」(邦訳「丹下健叁と隈研吾展 東京大会の建築家たち」) (独立行政法人国際交流基金、パリ日本文化会館 2024年5月2日~6月29日)


 
书籍绍介:
丹下健叁と隈研吾、東京大会1964/2020の建築思想に迫る新刊が発売 (『MODERNLIVING』 2025年1月27日)

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